2011/04/08

はっちょうみそ

うちの子供が幼稚園の先生に 私の父さんは地震で困っている人を手伝っていると言ったとの事。
子供に心配かけたくないから嫁にも何しているかなどは子供に絶対に話をするなと言ってあった。
子供が寝た後とか子供がテレビに集中している時に英語で話したりはしていたのだけれども。。。。。 本当に、子供は親が知らないうちにどんどん大きくなるんだなぁと思った。そして、恥ずかしながらとても嬉しかった。会えないのは本当に辛い。子供の写真を車の天井にはってある。昼ごはん食べてちょっと横になるとちょうど見える場所。携帯電話にも動画がいっぱい入っている。時々会いたくてしょうがなくなるけ被災者さん達の事を思い忘れるようにしている。
何時帰れるか分からないけどお父さんは何時もそばにいます。 でもずるいよなぁ。 一緒に居ないとこうなるんだもの。一緒に居ると無碍にするくせに。。。。 にくいやつらめ。 明日は現場早いからもう本当に寝ます。おやすみなさい。

色々

元々潮が上がると湾の水がきてしまう場所でしたが普段より全然水が多くて普通車が通れないぐらいでした。元々ここの両方ともわわぉ(※) 畑だった場所です。
※また地震だった。そしたら何故かわわぉってタイプした。まだまだ甘いなおれも。
今日は誰も居ない。。。。。地震ありませんように。

 
みずらいかもしれないけどここは橋で左側にひっかかった船が見えます。
今日の現場。小さく見えるかもしれないけれども量も大きさも普通じゃ考えられない量と大きさの防砂林です。泥だらけの松でしかも20年以上のクラスだから本当に時間がかかる。出来るだけ早くしてあげたいのだけれども悔しい。

現場近くの家に元々はきれいだっただろう猫が居て一件の家の庭でぼーーっとしてました。
心優しい私は昨日の地震でおかずが超減ったにも関わらず猫に分けてあげました。
気持ちは通じる物で猫はすごい勢いで逃げていきました。本当に猫は嫌いです。
ここら辺の家はそこまで泥につかっていない場所だったので地震倒壊のようです。
今日チェーンソーの作業をしているときに仲良くなったおばちゃんに妙に感謝されて色々話をしてしまいました。出来るだけ被災者の方とは話をしないようにしていたのですが。。。
庭とか一階部分が妙にきれいだったので不思議に思い遠まわしに聞いてみたら自分とお父さんでかたずけをしたそうです。冗談めかして「いつになるかわからないけどすぐに綺麗にするからおとなしく待ってろ!」と言ったら「でも、何をしていいのか分からない。」と仰っていました。その場所は3名ほどおなくなりになった場所なのですが津波が来たのを近所の子供さんが教えてくれたとの事。
その家では防災無線が聞こえなかったそうで、大きい地震の後怖かったと外で二人で話をしていたら近所の子供の声を聞いて海側を見てみたら津波が迫っていたとの事。本当に生きていてくれてよかったです。でも、なんていって良いのか分からないのでずっと 大丈夫、大丈夫 と言っていました。 世界中の人が手伝う(というか協力する)から安心して欲しい。。。。 あと、お礼を言われたりするのも辛い。 自分でどうしていいかわからないけど何かをしようと思って皆行動しています。

ボランティアと言うとうそ臭いけど奉仕活動は人間として当たり前の事。何かをしようとして行動している人を何もしないで批判している人はカスです。畜生以下です。ボランティアは正直邪魔に思う事もあるけどやっぱり行動にうつせるのはすごい事です。(その代わり物見由山で1日で帰るとか自己完結できない人とかは別でね)

もし、これを見ている人でなにかしなきゃと思う人が居たらお金を送ってあげて下さい。正規の場所で募金をしてあげてください。物たりないから送っても意味無いです。お金は何でも出来るわけではないけど沢山の事が出来ます。

明日から雨なのですが皆カッパ着て作業します。キコリさんは刃こぼれがするって文句をいっぱいいいながらも結局明日も来ます。皆、本当にみんな 自分がやれる事をやっています。


~ご飯の事~
今日は誰も居ないからご飯いっぱいたいておかず作りためます。
左側がご飯炊いてるやつ。ごはんは煮るんじゃなくて炊くのです。
キャンプの御飯用のなべとかあるけどあんなのなくても簡単に炊ける。しかも今の器材ってすごい
高性能だから誰でも出来る。

1、米を研ぐ
※一番失敗が無い方法は米研いだらその後ちょっと乾燥させて、んで、水に入れる(入れる時間は適当で大丈夫)そうすると浸透圧で米が水を良くすう。多分だけど
2、炊くときに最初は出来るだけマッハで水を沸騰させる
3、沸騰したら後は弱火で炊いてく(普通のなべだったら隙間からちょこっと水蒸気があがるぐらい
上に重しを載せたらなおよし
4、焦げたにおい(炭化した匂いじゃなくて)がしたら火からおろしてそのままほうっておく10分以上
通常同時進行で色々な事しているから煙の色見るとかさかさまにするとかは大変。
そんなのしなくても(飯ごうはしたほうがいい)簡単に御飯はできるのです。日本の米はそれだけで美味しいしね。



















 ね。

おこげは時々食べるから美味しいだけであってやっぱり無いに越した事は無いと思う。どうしても作りたいなら弱火で炊いていって最後に強火とかかなぁ?でも、それだと米にかかりっきりになっちゃうしなぁ。



こげが出来ちゃうと保存するのめんどくさい。こげと米を均等にわけなきゃいけないし。やっぱりこげ反対



おうに
今日は周りに誰も居ないからお風呂タイム。砂利とか野菜洗う用のバケツを使ってシャワーです。

すっごい気持ちよかった。お風呂って大切なんだなぁと思った。明日も早いから今日はもう寝ます。
皆が幸せでありますように。

訂正とお詫び
画像で一部不適切な性器が写っていた事をここに謝罪及び訂正をさせて頂きます。


やっとおちついた

相馬市は震度5強だったみたい。ビビッてなんか居ないんだ俺。隣で寝てる職員の人がおっとりしたしゃべり方する人で、なまりながら 「あーーーこれは大丈夫なゆれですねぇ うん、大丈夫なやつです、、、 ん?あーーー ん?ん? こ、 これは。。。。。。。。。。。。。。。。(早口) ちょっと外出ましょうか」 この言葉を聴いてサーモンピンクの縞々タイツ+tシャツ姿ではだしでマッハで外に出たおれだけど大丈夫だぜ。でも、実は怖すぎて寝れないぜ。でも大丈夫だぜ。明日の朝現場に入れたら(あと3時間か)重機確認してみて津波が来たのかどうか見てみよう。潮位の変化で水の中に入っちゃうぐらいの所だからちょっと無理かも。しかも、もうすぐ雨が降るらしく作業は急ピッチで水路周りを優先して始める必要がある。あっ、 やっぱりだよ。 用意してたお弁当床に落ちてた。。。。。 そうか、だからお弁当の容器は陶器じゃないんだな。勉強になったぜ。何だよぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!! だったらさっき食っちゃっとけばよかったじゃんすか!! まあ、いいや。でも、この地震より全然強い震度で我慢した女子供や寄りがいるんだから、本当にエライ。そう、ここの市には子供が居ないんだよね。1つは小学校の開始の目処が立っていないため。もう一つは隣の南相馬の原発の問題のせい。子供好きな自分としてはちょっと残念。早く子供をからかいたいから作業を頑張ろう。ちょっと仮眠してから現場へゴー!

2011/04/07

地震

今さっき、大きめな地震があった。。。。 一度ゆれがおさまって。
部屋にかえったらまだ、ゆれてる。。。。こんな小さい地震でも怖いのに。。。。 
本当に皆えらかったと思う。フクシマに0.5mの津波注意報が出たみたい。 作業中じゃなくて本当によかった。こわいこわいこわいこわい。。。。。 また、ゆれがおおきくなってきた。。。

↑ これが一度屋外にはだしで飛び出した後 ちょっと恥ずかしくなって戻ってきて何故かブログを書き始めた俺。パニックになったんだなぁ。 で、チキンな私が面白いのでアップします。まだ、揺れてる。

本当に被災地域の人達よく頑張ってる。 またゆれはじめた。。。やっぱり怖い。 とりあえずブログやめて避難所のほうへ行ってきます。 あの人達と一緒に居れば勇気がでる。

私の名機たち

私の愛機 スチールのチェーンソー、ピックアップトラック&ブッシュナイフこれはのりの養殖をされている方の網はすごく頑丈。家にひっかかって巻きついてると本当に切れない。そういう時にこれを使います。木は塩と泥が結構ついたままなので本当にすぐに切れなくなっちゃう。しょっちゅうチェーーんそーの歯をといでる。すごいとぎは上手になった。あと、注意していないと鉄のワイヤーとか網とかを巻き込んでキックバック現象がおきて頭にあたりいそうになったりする。きおつけなければ
ちなみに山やる人の道具は大体派手なんですね。山に入ると人ですら判別するのが難しくなります。道具なんてなおさら。だから派手な色のテープとかをつけてわかるようにするのです。
後ろにあるのは腰袋とガソリン。ゴミじゃないよ。

すっごいいい家だったんだろうなぁ、 と思う家が沢山ある。

ご飯2号


 まな板がないからダンボール紙で、きる物は全部はさみで切れたらハサミで。天才カーニバルです。
















ご飯は炊き貯めしておいてるやつを使う(なべでたくから
めんどいのね。ご飯茶色いのはこげ)。メニューは作り貯めしておいた筑前に卵とほうれん草のいためたの。魚肉ソーセージ、鮭、キンピラ
弁当箱ないから市湯のみを使った。これがいい。味が混ざんないし。弁当革命です。

で、これがさっきの晩御飯ビールと、おにぎりとシーチキン+マヨネーズ。今日は買えなかったから。つくり駄目のは明日の弁当用でフィニッシュだから苦渋の決断です。今日は洗濯をしました。
あと、体を特別な方法(ここには書かない)で洗いました。工夫次第であっと驚くのです。
来年の今頃 生活ホットモーニングでお会いしましょう。
明日の現場は畑の中。今日仕事終わり前に場所見に行ったけど泥がすごくて大変そう。

自分

一人でクスッとわらったんだけどあたりまえのように腰袋をしてヘルメットしたまま車のってたんだけどこれって土建さんの格好だな。

注意: 口のマスクはタダの防塵マスクです。倒壊してしまった家屋には昔の家も多いためアスベスト対策でつける。目が小さいのは気圧の関係です。

クッキングマコ

市のご好意で役場の人の仮眠室を一緒に使わせてもらっています。
隣が給湯室なのですがそこで料理をしています。被災所の人は苦労しているのにと思うのですが、
体を使う仕事なので怪我するのが一番怖いです。皆に迷惑かけちゃうし。
これはコールマンのツーバーナー昔ボーイスカウトやってた時に大人が使っててすごい羨ましかった。俺達はマッチ5本と新聞紙一枚で雨の日に火を起こして飯炊きしなきゃいけなかったのに!!
三角コーナーのあれをちゃんと洗って野菜の水切りに使う俺天才



夜戻ってやっているお店で売っている野菜(東北物)を買って料理をします。


で沢山あるプラコップにすとっくをします。

でそれを現場(お店がないから弁当をもっていいかなければならない。
何度も書くけどちゃんと食べないと私のベストパフォーマンスを見せれないので
被災地の方には申し訳ないけれどもちゃんと作ってちゃんと食べる。あと、怪我しない。
なんでか分からないけど、風邪ひかないようにと思って買ったのがユンケルの4本セット。
意味わからん。お弁当の中身は
ゆで卵、マルシンハンバーグ、鮭、筑前煮、あとわかめスープ(ポットにお湯を持っていく)
ジーニアス。。。。。 ジーニアス誠万歳!!

現場

今日の仕事の相方さん リュウさん無口なナイスガイこのゆんぼって俺の何だけどここだと小さく見えます。





あのずーーーーっと億に見える点の先に海があるのですがそこから津波がきたそうです。
最初は雲なのかと思ったぐらいおおきかったみたい。本当によくがんばったです。生きてて
くれてありがとうです。

色々色

今日の一つ目の現場 ここは高台にあったのに津波が一階まであがってきたところのようです。
現場に来るまでの道も瓦礫がすごくその時に自衛隊さんが道を一生懸命寝ずに毎日とりかかってくれました。それでもまだまだこんなに木がある。この木は2KG~3KG先の海にある防砂林
から来た物です。左の写真のずっと遠くに見える黒い点の所からここまで木が流されました。
ここら辺の人に言わせると津波着たときは防砂林の上に白いもんが見えて最初雲だと思っていたらそれが波のトップだったと言う事。 死ぬかと思ったって言ってた。

左が撤去前の状態です。午後から一人作業でバックホーとチェーンソウをつかって作業しました。

全然離れた郵便屋さん。自分達も酷い目にあっているのに、皆が’~~地区のほうがもっと酷かったみたい’と言います。

2011/04/06

まずは画像

動画が上手くアップ出来ない。。。 明日リトライしてみます。
今日近くでご遺体が見つかりました。悲しいというよりやっと家族の下に戻れてよかったなぁという
気持ちが強いです。明日も8時から現場です。私は頑張ります。
ちなみに今日も自分で晩御飯を作り(マジ天才的アイデアクッキング野郎)弁当も作りました。





2011/04/04

初めの一歩

初めに今回の大災害で被害にあわれた皆様。本当にお疲れ様でした。私は海外に住んでいて現場に来るまではあいまいな気持ちでした。今はまず心と体の傷を癒してください。私達はいつもあなたのそばに居ます。

現在被災地にて 自分に出来る範囲で、出来る事を、出来るだけ やらせてもらっています。
このブログは海外に住む身内や会社内部の人間への近況報告的な部分が非常に強いです。画像や動画をこれから投稿していきますがこの事には批判もあると思いますが自分なりに考えて実行をしています。

現在私はふくしまの土木課さんに無理を言って千葉の個人所有の重機1台とチェーンソーと身一つで撤去の仕事を手伝わせていただいています。今日までテント泊(もともとアウトドア好き)だったのですがご好意で給湯室横の市職員さんの仮眠室を私も使わせてもらえる事になりました。
水も使えるし電気もあるし本当にありがたいです。このご恩に少しでも報いれるように一生懸命やります。末尾になってしまいましたが、この場を借りて心からお礼を申し上げます。まだ、水も電気もガスもこない地域があるのにごめんなさい。

こちらに来て多少の手伝いをさせてもらいながら感じることは被災にあわれた方達の我慢強さと非常に前向きな姿勢です。

また、被災地にいち早く入った日本や世界各国の救助隊、自衛隊、その他沢山の人達。
本当に勇気があります。

今日は立入禁止区域でのがれを集めてダンプでピストン輸送をする作業でした。
私はチェーンソーで長い材木をカットする作業を担当しました。作業中に雪が降ってきました。
色々な物を見て感情移入をしてしまいます。身長の3倍以上の高さにある津波の泥の線、倒れた電信柱、おばあちゃんがよくもってる和風巾着、泥だらけになったKTちゃんのバッグ、干したままの状態の子供服、卒業証書、旅行の写真、野良犬がくわえてきた片方だけの靴。。。。
本当に、本当に偉いです。

ここには書き切れないほどの沢山の人達の思い出がそこにありました。私は先ほどガレ(瓦礫)と書きましたが麻痺しているのかもしれませんね。どうか一人でも多く&出来る限り早く被災者さんが
心から笑える日が来ます様に。 


道路に飛び出そうとしてしかられる子供としかる母親
パソコンが出来てから子供が部屋から出てこないと愚痴る父
何度いっても言う事を聞かない子供
もうお迎えが来ると言いながら長生きをする祖母ちゃん
酒飲むとはしゃぎすぎて叱られる祖父ちゃん

あたりまえの日常とあたりまえの生活を、悪い事はほとんどテレビの中でおこると思える生活を
取り戻せてもらえるのなら私はどんな苦労でもします。

どうか、どうか 出来るだけ多くの人が幸せと思えるようになりますように

で、動画とか画像とかアップしようと思ってたんだけど明日にします。
文章だけでゴミンニ。