2011/04/04

初めの一歩

初めに今回の大災害で被害にあわれた皆様。本当にお疲れ様でした。私は海外に住んでいて現場に来るまではあいまいな気持ちでした。今はまず心と体の傷を癒してください。私達はいつもあなたのそばに居ます。

現在被災地にて 自分に出来る範囲で、出来る事を、出来るだけ やらせてもらっています。
このブログは海外に住む身内や会社内部の人間への近況報告的な部分が非常に強いです。画像や動画をこれから投稿していきますがこの事には批判もあると思いますが自分なりに考えて実行をしています。

現在私はふくしまの土木課さんに無理を言って千葉の個人所有の重機1台とチェーンソーと身一つで撤去の仕事を手伝わせていただいています。今日までテント泊(もともとアウトドア好き)だったのですがご好意で給湯室横の市職員さんの仮眠室を私も使わせてもらえる事になりました。
水も使えるし電気もあるし本当にありがたいです。このご恩に少しでも報いれるように一生懸命やります。末尾になってしまいましたが、この場を借りて心からお礼を申し上げます。まだ、水も電気もガスもこない地域があるのにごめんなさい。

こちらに来て多少の手伝いをさせてもらいながら感じることは被災にあわれた方達の我慢強さと非常に前向きな姿勢です。

また、被災地にいち早く入った日本や世界各国の救助隊、自衛隊、その他沢山の人達。
本当に勇気があります。

今日は立入禁止区域でのがれを集めてダンプでピストン輸送をする作業でした。
私はチェーンソーで長い材木をカットする作業を担当しました。作業中に雪が降ってきました。
色々な物を見て感情移入をしてしまいます。身長の3倍以上の高さにある津波の泥の線、倒れた電信柱、おばあちゃんがよくもってる和風巾着、泥だらけになったKTちゃんのバッグ、干したままの状態の子供服、卒業証書、旅行の写真、野良犬がくわえてきた片方だけの靴。。。。
本当に、本当に偉いです。

ここには書き切れないほどの沢山の人達の思い出がそこにありました。私は先ほどガレ(瓦礫)と書きましたが麻痺しているのかもしれませんね。どうか一人でも多く&出来る限り早く被災者さんが
心から笑える日が来ます様に。 


道路に飛び出そうとしてしかられる子供としかる母親
パソコンが出来てから子供が部屋から出てこないと愚痴る父
何度いっても言う事を聞かない子供
もうお迎えが来ると言いながら長生きをする祖母ちゃん
酒飲むとはしゃぎすぎて叱られる祖父ちゃん

あたりまえの日常とあたりまえの生活を、悪い事はほとんどテレビの中でおこると思える生活を
取り戻せてもらえるのなら私はどんな苦労でもします。

どうか、どうか 出来るだけ多くの人が幸せと思えるようになりますように

で、動画とか画像とかアップしようと思ってたんだけど明日にします。
文章だけでゴミンニ。

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